宮城県女川町 3年目のお祭り
東日本大震災後、ご縁でお世話になっている、
宮城県女川町へ、今回はボランティアでなく、純粋にお祭りを楽しみに行ってきました。
仙台出身で東京在住の友人が、途中、閖上、七里ヶ浜、石巻と車で案内してくれました。
![閖上地区](/wp/wp-content/uploads/img/blog_import_5e086996958f6.jpg)
閖上地区の日和山から
(各地に日和山という場所はあります)
七里ヶ浜のイベント会場内で活動報告を見る
![image/_6a9_2946378_20140421_2231139.jpg](/wp/wp-content/uploads/img/blog_import_5e0869982f7c2.jpg)
女川町の復幸祭へ 地元の学生が企画した石碑
![image/_6a9_2946378_20140421_2231141.jpg](/wp/wp-content/uploads/img/blog_import_5e0869991b5ff.jpg)
女川小学校から、津波被害の大きかった街を望む。
造成が急ピッチで進み、新しい女川駅の再開へ。
![image/_6a9_2946378_20140421_2231142.jpg](/wp/wp-content/uploads/img/blog_import_5e086999e0a10.jpg)
![image/_6a9_2946378_20140421_2231143.jpg](/wp/wp-content/uploads/img/blog_import_5e08699ac082e.jpg)
石巻市内、北上川にある「石巻ハリストス教会」
この訪問後、数日して、解体工事が開始されました。保存移転の予定ですが、まだ移転地が決まっていないそうです。
震災後、ボランティア活動をきっかけに何度も訪問している、女川と石巻ですが、
復興への街の変化は大きく異なります。
女川町は漁業と水産加工の小さな街ですが、津波被害が大きくほとんどの建物が流され、
ある意味「行政に任せる」ことで、造成のピッチは早いように感じます。
一方の石巻市は、同じように津波の被害はありましたが、点々と建物は残り、
何をするにしても、権利関係で、まずは個人レベルで解体するところから始めなければならず、街の進む道の模索と合意形成への道が、現実的には厳しいものがあるように感じました。
石巻には、何度も足を運んでいますが、解体もされずに時間が止まっているように思います。
できる限り各地へ足を運ぶのもありますが、こうして縁あって何度も同じ場所へ行くことで、
街の変化を感じることができます。
ただ、外部から訪問しているだけでも感じるこの現実は、元の住民は想像以上の時間のもどかしさを感じるものと思います。
宮城県女川町へ、今回はボランティアでなく、純粋にお祭りを楽しみに行ってきました。
仙台出身で東京在住の友人が、途中、閖上、七里ヶ浜、石巻と車で案内してくれました。
![閖上地区](/wp/wp-content/uploads/img/blog_import_5e086996958f6.jpg)
閖上地区の日和山から
(各地に日和山という場所はあります)
![七里ヶ浜のイベント会場](/wp/wp-content/uploads/img/blog_import_5e0869977accf.jpg)
七里ヶ浜のイベント会場内で活動報告を見る
![image/_6a9_2946378_20140421_2231139.jpg](/wp/wp-content/uploads/img/blog_import_5e0869982f7c2.jpg)
女川町の復幸祭へ 地元の学生が企画した石碑
![image/_6a9_2946378_20140421_2231141.jpg](/wp/wp-content/uploads/img/blog_import_5e0869991b5ff.jpg)
女川小学校から、津波被害の大きかった街を望む。
造成が急ピッチで進み、新しい女川駅の再開へ。
![image/_6a9_2946378_20140421_2231142.jpg](/wp/wp-content/uploads/img/blog_import_5e086999e0a10.jpg)
![image/_6a9_2946378_20140421_2231143.jpg](/wp/wp-content/uploads/img/blog_import_5e08699ac082e.jpg)
石巻市内、北上川にある「石巻ハリストス教会」
この訪問後、数日して、解体工事が開始されました。保存移転の予定ですが、まだ移転地が決まっていないそうです。
震災後、ボランティア活動をきっかけに何度も訪問している、女川と石巻ですが、
復興への街の変化は大きく異なります。
女川町は漁業と水産加工の小さな街ですが、津波被害が大きくほとんどの建物が流され、
ある意味「行政に任せる」ことで、造成のピッチは早いように感じます。
一方の石巻市は、同じように津波の被害はありましたが、点々と建物は残り、
何をするにしても、権利関係で、まずは個人レベルで解体するところから始めなければならず、街の進む道の模索と合意形成への道が、現実的には厳しいものがあるように感じました。
石巻には、何度も足を運んでいますが、解体もされずに時間が止まっているように思います。
できる限り各地へ足を運ぶのもありますが、こうして縁あって何度も同じ場所へ行くことで、
街の変化を感じることができます。
ただ、外部から訪問しているだけでも感じるこの現実は、元の住民は想像以上の時間のもどかしさを感じるものと思います。